czwartek, 21 stycznia 2010
火野葦兵の自殺
1960年(昭和35年)1月24日、自宅の書斎で死去。享年53。最初は心臓発作と言われたが、死の直前の行動などを不審に思った友人が家を調べると、「HEALTH MEMO」というノートが発見された。そこには、「死にます、芥川龍之介と は違うかもしれないが、或る漠然とした不安のために。すみません。おゆるしください、さようなら」と書かれていたという。その結果、睡眠薬自殺と判明し た。このことは13回忌の際に遺族によりマスコミを通じて公表され、社会に衝撃を与えた。その時、ニュースで報じた告別式の映像がKBCの映像資料[1]として現在も保管されている。この自殺は、60年安保に向けて騒然としていた世情と関係があるともいわれている。
なぜ火野さん自殺しました知っていません作家だけそのことを知っています。
日本近代文学史をどす黒くいろどる悲しき自注に、自殺作家の系譜がある。北村透谷に始まる文学者の自殺は、藤野古白、川上眉山、有島武郎、芥川龍之介、生田春月、牧野信一、そして第二次世界大戦後は原口統三、太宰治、田中英光、木村荘太、原民喜、加藤道夫、久保栄、三島由紀夫、川端康成とつづくのだが、火野さんも、その殉教者日表の中に入れざるを得ないというのは、実に意外であり、<死> の原点から、この <生> の寵児であったとおもわれる火野葦兵の文学を見直すと、また別の発見があるかもしれない。
名前の読み方
北村透谷 (きたむら とうこく)
藤野古白 (ふじの・こはく)
川上眉山 (かわかみ びざん)
有島武郎 (ありしま たけお)
芥川龍之介 (あくたがわ りゅうのすけ)
生田春月 (いくた しゅんげつ)
牧野信一 (まきの しんいち)
原口統三 (はらぐち とうぞう)
太宰治 (だざいおさむ)
田中英光 (たなか ひでみつ)
木村荘太 (きむら そうた)
原民喜 (はら たみき)
加藤道夫 (かとう みちお)
久保栄 (くぼ さかえ)
三島由紀夫 (みしま ゆきお)
川端康成 (かわばた やすなり)
兵隊三部作
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