środa, 9 grudnia 2009

火野葦平と言う小説家



火野 葦平(ひの あしへい) 本名 -玉井勝則 (たまいかつのり)

1907年(明治40年)1月25日に生まれて1960年(昭和35年)一月24日に自殺しました。
父・玉井金五郎、母・マンの三男二女の長男として生まれました。

小倉中学校入学後、漱石等の作品に接し、文学を志しました。
十七歳で若松を出て早稲田高等学院に入った少年は、折からの関東大震災の前後四ヶ月ほどの間に、自ら”十七歳三部作”と戯称するところの「月光礼讃」、「思春期」、「山」の三作、併せて千二百枚ほどのものを書きました。

早稲田を経て、早稲田大学英文学部を中退後、一時家業を継いでいましたが、昭和12年、日中戦争のため応召しました。

昭和13年、出征中に『糞尿譚』が第6回芥川賞を受賞し、軍報道部時代に書いた兵隊三部作により、一躍、国民作家として脚光を浴びました。

戦後、昭和23年から25年まで公職追放をうけましたが、追放解除後も筆は衰えませんでした。創作活動の拠点である若松の『河伯洞』と東京の『鈍魚庵』とを飛行機で往復するなど、精力的に活動し、『花と龍』など北九州を舞台とした数多くの作品を書き続け、再び流行作家として活動しました。

昭和35年1月24日河伯洞2階の書斎で自ら命を絶ちました。享年53歳でした。

昭和35年5月、戦中戦後の自らの心の軌跡を描いた『革命前後』及び生前の業績により日本芸術院賞を受賞しました。

玉井金五郎(たまいきんごろう)Tamai Kingorou
若松町(わかまつちょう)Wakamatsu
小倉(こくら)Kokura
漱石(そうせき)Soseki (Natsume)
接する(せっする)Expose
志す(こころざす)aim
早稲田(わせだ)Waseda (University)
関東大震災(かんとうだいしんさい)Kantou Great Earthquake
中退(ちゅうたい)dropout
継ぐ(つぐ)inherit
応召(おうしょう)muster
出征(しゅっせい)departure to the front
糞尿譚(ふんにょうたん)story about excrement
脚光を浴びる(きゃっこうをあびる)get into the limelight
公職追放(こうしょくついほう)public exile
解除(かいじょ)release, cancel
創作(そうさく)creation
拠点(きょてん)strong point
精力的な(せいりょくてき)energetic
河伯洞(かはくどう) Kahakudou
鈍魚庵(どんこあん)Donkoan
書斎(しょさい)library
享年(きょうねん)age at the time of death
業績(ぎょうせき)achievement


私の修士論文に関して単語リスト:

日本語 読み方 英語 ポーランド語
火野葦平 ひのあしへい Hino Ashihei
本名 ほんめい real name
早稲田大学 わせだだいがく Waseda University
中退 ちゅうたい dropout
応召 おうしょう muster
糞尿譚 ふんによたん Story about excrement
転属 てんぞく transfer
連携 れんけい cooperation
従軍記 じゅうぐんき War journal
評判 ひょうばん reputation
趣 おもむき flavour
活躍 かつやく activity
戦犯 せんぱん war criminal
追及 ついきゅう inquiry
公職追放 こうしょくついほう public exile
男児 だんじ boy
苛烈な かれつ severe, stern
自伝 じでん autobiography
長編 ちょうへん novel
言及する げんきゅう mention
革命前後 (かくめいぜんご) Before and after revolution
力量 りきりょう ability
発揮 はっき display
書斎 しょさい library
享年 きょうねん Age at the time of death
三部作 さんぶさく trilogy
陸軍 りくぐん The Army
貨物船 かもつせん cargo ship
荷役 にやく loading
沖仲士達 おきなかしだち dockers
谷口 たにぐち Taniguchi
背景にして  はいけい against

3 komentarze:

  1. カシャさん、お茶大の教員モリヤマです。
    日本の学生から返事がなくてすみません。
    私のゼミの学生は日本語教育の方が専攻で、
    火野葦平は(私も含め)ほとんど読んだことがないのだと思います。ですのでイメージがわかないのだと思います。
    また兵隊さんというのも、戦時中に用いられた言葉であるためと、軍人自体に対しても親近感がないため、3つの質問には答えられないのではないかと思います。
    私としては、カシャさんがなぜ火野葦平に関心をもつようになったのか、ポーランドにおいて知られているのかについて知りたいと感じました。
    よいお年を。

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  2. 彼は日本の自殺した作家のグループの小説家で、どうして自殺してしまいましたか。
    寺山修司に似ている子供の時実験がありましたね。寺山にとって青森大空襲は人生経験で火野葦平にとって関東大震災は人生経験だったので少し似ていますね。
    軍報道部ってよく分からないので説明してくれませんか。
    国民作家として彼の作品の特徴は何でしたか。

    OdpowiedzUsuń
  3. 御コメントどうもありがとう。
    火野葦兵の自殺についてポストをしました、見いてください。
    火野葦平普通の人間について書きました。各家族火野さんの本を読むとき私の息子についての本ですといわれましたか。だからそんな人気になりました。
    軍報道について別のポストをします。

    OdpowiedzUsuń